桜の樹形について、 | 花の会

桜の樹形について、

桜の樹形について

桜は日当たりのよい明るい場所でないと生育しない、
天然林の暗い樹林のなかでは育だちが悪い。
社会が発展して集落ができ、薪や炭を作るために
天然林を伐採し切り開き、明るい平地ができると
桜の生育に適した環境になる。
そこに桜の木が育ち、
万葉の人々の眼に止まるようになった。
桜の美しさを知った人のなかには
自分の家に桜の木を植える人まで出てきた。
自邸で花見の宴をする貴族まであらわれた。

万葉集1869 作者不明 
春雨に争ひかねてわがやどの
  桜の花は咲きそめにけり

漢詩文集「懐風藻」751年には聖武天皇の左大臣長屋王が
自邸で花見をした時の漢詩が載っている。

桜は自家受粉をしないので実生の桜はすべて雑種になる
人家の近くや屋敷の庭に人為的に植えられた
沢山の種類の野生の桜から
自然界ではありえないような桜の交配が行われる。
八重桜や枝垂桜の園芸種が生まれる事になる。

八重桜は奈良時代、聖武天皇(701~756)が
奈良の三笠山に出かけた折に
とても美しい桜が咲いていたので一枝を採り
光明皇后へのお土産にされたという、
後に光明皇后はその桜を都に移植する事を望まれ、
三笠山から掘り起こされて都に移植された。
その桜は「霞桜」の変種で
淡紅色でやや小型の八重桜であつた。
八重桜は接木で増やされ、都の花として大切に育てられた。

戦後、東京大学の三好学博士が
奈良の正倉院の東隣にある知足院の裏山に咲いている桜が
光明皇后が移植を望まれた八重桜と同じ品種の桜と確認、
「ナラノヤエザクラ」と命名した。
現在、「奈良八重桜」は奈良県の県花になっている。

平安時代の京の都の桜には
「枝垂桜」が相応しいが
枝垂桜は東国の桜で
京の人々の眼につくようになったのは
八重桜よりも300年も遅く、
平安時代の終わりの頃、源氏と平家が争い、
西行が活躍していた頃である。

各地に残っている古木・名木の枝垂桜は
ほとんどが「エドヒガンザクラ」の変種で
植物学的には「江戸彼岸桜」と同じ品種
白または淡紅白色・小輪の花をつける。
更に、枝垂桜の中には
紅色のより濃い「紅枝垂」福島・三春の滝桜が有名
花弁が増えた「八重枝垂」もある。
京都の枝垂桜は「紅八重枝垂桜」が多い

桜の枝がしだれる現象は「江戸彼岸桜」以外の桜にも現れるが
枝垂桜の枝を挿し木しても、枝垂桜の実を育てても、
すべての苗がしだれ桜にならないという。
枝垂桜の特徴に興味を持った
日本女子大学教授の中村輝子博士は
枝垂桜の出来る原因について、研究した結果
枝垂桜は枝垂れないものに比べて、枝の伸び方が早く、
しかも長く伸びるため、枝の付け根に近い部分が、
先端の枝や葉の重さを支えきれずに下に向かって屈曲し、
やがて、そのまま固定されて枝垂れ桜となるということを実証した。
枝垂桜は種なしぶどうで有名なジベルミンが遺伝的に欠如しているらしく
桜の幹の頭部に不足しているジベルミンを注入すると普通の桜になるという。

参考文献
西日本新聞 な~るほど!科学コラム
  「シダレザクラができるまで」
http://www.nishinippon.co.jp/galileon/colum/002.shtml

桜には枝が弱く垂れる傾向があり
染井吉野の年数を経た枝は花数が多くなり
若い時よりも枝が垂れる傾向がある。

品種としての枝垂桜は「江戸彼岸桜」だけではなく、
「大島桜」や「染井吉野」その他の桜にも枝が枝垂る桜がある。
「枝垂れ大島桜」「枝垂れ染井吉野」と命名されている。

反対に枝垂れとは逆に、幹・枝・葉ともに
ポプラの木のように、上に向かって伸び、
花まで上を向いて咲く「天の川」という品種がある。
花は淡紅色の大輪八重咲き
学名はErectaという。
同じ樹形で花が白色の「七夕」という品種もある。
それから、枝が横に真っ直ぐ伸びるために
樹形の形から「雨傘」「花笠」「雨宿り」という
優雅な名前の付いている里桜もある。
どの桜も外国で人気がある。


春くれば いとかの山の糸ざくら(山桜)
 風にみだれて 花ぞちりける
           源 実朝


夕光のなかにまぶしく花みちて
 しだれ桜は輝を垂る
           佐藤佐太郎