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古典芸能鑑賞講座「花の会」のお知らせ

古典芸能鑑賞講座 「花の会」 のお知らせ 
平成19年(2007)第一期スケジュール表
『花の会』は古典芸能大好きの主婦たちが20年前
狂言師 善竹十郎さんに世阿弥の『花伝書』の講義を
お願いして始まりました。
『日本の古典芸術をより身近なものとして理解し、
人生の糧とすべく共に学び楽しむ』をモットーに
21年間続いている古典芸能鑑賞公開講座です。

平成19年1月11日木曜日 午後2時~4時
          演題「鋭意検討中」 
          講師 松竹歌舞伎プロデューサー  岡崎哲也氏
          会場 世田谷区烏山寺町通り区民集会場 一階和室 
      http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00004188.html

平成19年1月18日木曜日 午後2時~4時
          演題 「吉田玉男を偲ぶ」
          講師 文楽歌舞伎解説者 高木秀樹氏
          会場 世田谷区烏山区民センター 第4会議室
      http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00004109.html

平成19年2月1日木曜日 午後2時~4時
          演題 「能のふるさと散歩」
          講師 写真家 岩田アキラ氏
          会場  未定

平成19年2月15日木曜日 午後2時~4時
          演題 「国立劇場40周年記念について」
          講師 国立劇場芸能部長 織田紘二氏
          会場 世田谷区烏山区民センター 第4会議室

平成19年3月15日木曜日 午後2時~4時
          演題 「役者絵の楽しみ方」
          講師 国立劇場芸能部長 石橋健一郎氏
          会場 未定

平成19年3月29日木曜日 午後2時~4時
          演題 「新歌舞伎 Ⅲ」
          講師 明治大学 神山 彰氏
          会場 未定

第一期分会費  4.000円  (単独受講1.000円)

秋に咲く桜

Ⅰ 季節はずれの「エドヒガンザクラ」  中日新聞から
桜の名所が見ごろ?    
季節外れの花を咲かしたエドヒガンザクラ=日立市で
 桜の名所として知られる日立市で、
エドヒガンザクラが季節外れの花を咲かせ、地元の人を喜ばせている。
 見ごろを迎えているのは、同市神峰町の市営高松台団地脇にある10本。
5年前、団地の前に市道ができたことを記念し、
住民グループ「中小路を住みよくする会」などが植えた。
毎年、春には薄ピンク色の花を楽しめるが、
今月に入って突然、開花したという。
 植樹に携わった男性(69)は「なぜこんな時季に…」と驚きながらも、
うれしそうな様子。通りかかった子どもたちは「見て、見て!」と、大はしゃぎだっ
た。 
(生島章弘)
http://www.chunichi.co.jp/00/ibg/20061026/lcl_____ibg_____003.shtml
Ⅱ 秋に咲いた桜には古代史に有名な話がある。
仁徳天皇の息子で、第17代履中天皇は履中元年(400)に即位し、
都を大阪から、磐余(現在の大和桜井町の近く)に移し、宮殿を新築した。
即位の翌年11月(現在の12月)、宮殿が完成したので、落成式をした。
落成式の余興に、天皇は宮殿の前の池に舟を浮かべて楽しんでいたら、
何処からともなく、桜の花が飛んできて、盃に花びらが舞い落ちたと言う。
天皇は時ならぬ桜の花に吉兆だと喜び,完成した宮殿を「稚櫻宮」と名付けた。
あとで、桜の花が舞い落ちたのは宮殿の建設に従事した役人の一人が
山に咲いていた桜の枝を採ってきたからだと判り、
天皇は桜の枝を採ってきた役人に、「稚櫻部造」という号を賜ったという。
後に「稚櫻部造」は志摩と若狭の国司となったので、
「稚櫻部造」の名前から、若狭の国の名前が生まれたと言われている。
履中天皇は各地に国司を置き、各地の歴史を編纂させた事でも有名な天皇
大阪,堺市にある日本で三番目に大きい古墳に葬られている。
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/017/index.html
http://megasite.cool.ne.jp/Mega/Kodaishi/kodai05/Mozu/Map_Mozu.jpg
天皇の盃に舞い落ちた桜は現在の「十月桜」ではないかと言われている。
前にも書いたが,秋に咲く桜は現在の日本には大きく分けると4種類ほどある。
どの桜の花が天皇の盃に舞い落ちたかのか現在ではわからない。
Ⅲ 晩秋に花を咲かせる桜がある理由
第一の理由は日本の桜の先祖返りである。
日本の桜の先祖はヒマラヤ地方に咲いている桜だと言われている。
ヒマラヤ桜は秋に咲く桜なので、秋に咲く桜が日本に存在しても不思議はない。
「ヒマラヤザクラ」について
幹の直径50cmにもなる落葉高木.
ヒマラヤからインド,中国,タイ北部に分布し,
日本では11月から12月頃まで開花する.
現在、東京大学の構内に咲いている「ヒマラヤザクラ」
 http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/sakrhima.htm
ネパールのサクラと日本の桜は両国の友好の架け橋
-2006年日本・ネパール国交樹立50周年に思う-
パルーンのサクラ  元東京農業大学教授 染郷 正孝
  http://www.nichine.or.jp/sakura.doc

第二の理由は狂い咲きである。
植物は秋になり、日照時間が短くなると,冬に芽が出ないように、
葉が根元に休眠を促す物質(成長抑制ホルモン)を作る。
その作用で、芽は葉や蕾が翌春まで開かないように休眠する。
害虫に葉を食べられたり、台風で葉を取られてしまうと
葉の成長抑制物質が作られないので、
季節はずれに若葉が出たり、桜の花が咲いてしまう事がある。
私の経験でも、6月、家の桜に「アメリカシロヒトリ」の害虫が発生した事がある。
ちょうど、木に掛けてあった巣箱に「シジュウカラ」の雛が孵っていた時であった。
沢山の毛虫は孵った雛の餌になると思い、殺虫剤を撒かないでいた。
やがて、桜の木は葉を食いつぶされ見事に丸坊主になってしまった。
梅雨が終わる頃、若葉が芽吹いたが何本かの枝に花が咲いた事がある。
又、秋の台風の影響で葉が散った桜の枝にも、
寒い日が続いた11月の末に桜が咲いた事がある。
今年の秋は我が家の桜も、毛虫が大発生したのか?
葉のない枝が沢山ある、今年は11月下旬に花が咲くかもしれない。
                                      
私は履中天皇の盃に舞い落ちた桜の花びらは現在の「十月櫻」「冬桜」ではなく、
宮殿建設の突貫工事の影響で、葉を落とされてしまった桜の枝が
初冬の暖かい日差しのなかで、春がきたと錯覚して,
桜の花を咲かせたのではないだろうかと思っている。
以上

公園の桜異変、葉が丸坊主

昨日(10月14日)の朝日新聞の夕刊に
「サクラ異変 葉っぱ虫食い丸坊主 毛虫大発生か」
という記事がありました。
私が東京の桜の木の葉の桜の虫食いに気がついたのは
今年の6月の中旬頃からでした。
自分なりに原因を調べても、
アメリカシロヒトリの毛虫のようではないように思いました。
記事のなかで、葉を落とした原因を
『「ただ葉脈状にしたのはハバチの仲間かもしれません」。』
という文章を見て何となく納得が行きました。
来年の東京の公園の桜は綺麗に咲くか,心配しています。


2006年10月14日
「サクラ異変 葉っぱ虫食い丸坊主 毛虫大発生か」

 都心の街路樹や公園のサクラの木が、落葉を前に次々丸坊主になっている。葉脈だけを網目のように残した葉ばかりがついている木も多い。例年なら10月下旬に散るはずが、今年はいったい何が起きたのか。

 オフィス街にある日比谷公園(東京都千代田区)には、150本以上のサクラの木がある。例年なら10月下旬ごろに散るはずなのに、今年は9月上旬から中旬にかけて、数本が早々と丸坊主に。公園管理所の職員は「あっという間の出来事だった」と驚く。

 異変は、サクラ800本を持つ都立神代植物公園(調布市)でもみられた。パンフレットにも載せているサクラの名木「神代曙」が9月に、丸坊主になった。別の木でも葉脈だけが網目状に残ったサクラの葉が目立つ。

 都道を管理する都建設局によると、練馬区ではこの夏、街路樹のサクラの一部でやはり葉脈だけの葉が目立った。

 「どれも虫食いの被害です。今年は例年より食べられてますね」。立川市の農業試験場内にある都病害虫防除所の担当者沼沢健一さん(55)は言う。

 沼沢さんによると、サクラの葉を食う主な病害虫としては、外来のアメリカシロヒトリ、シャチホコ形に反り返る黒い毛虫モンクロシャチホコが知られている。「この秋、木を丸坊主にしているのはモンクロシャチホコでしょう。ただ葉脈状にしたのはハバチの仲間かもしれません」。ハバチはハチの仲間だが、ミツバチのように刺したりすることはないそうだ。

 日本昆虫協会会長の奥本大三郎・埼玉大教授は「今年は毛虫が多いのでしょうね。その理由は我々にもわかりません」と首をひねる。

 「でも、今年毛虫が大発生すれば、同時に天敵が大発生して来年、毛虫たちはぐんと減ります。自然の摂理です。毛虫が葉っぱを食べるのは自然なことで、そのままにしておけば、来年はきっときれいな花が咲きますよ」
http://www.asahi.com/science/news/TKY200610140201.html

このような私のコメントに対して,知り合いの専門家から
次のような点を指摘して頂きました。
記事にはない問題点
1、自然保護、農薬禁止運動の高まりで公園の樹木に大量の農薬を撒くとを非難される
2、予算削減により,公園の樹木に農薬を撒く回数が少なくなっている。
3、そのためにアメリカシロヒトリなどの虫の被害が増大している。
4、各地の桜並木に「トラカミキリ」という虫が入り込み被害が増大している。

私はこの他に今年の異常な夏の暑さも原因があると思っています。
以上です。

あまりにも金利の考え方が違い過ぎます。

日本では 大臣も党幹部も貸金業界とズブズブ
今年のノーベル平和賞は小額無担保融資 グラミン銀行

 秋の臨時国会で貸金業規制法改正の行方が注目されているが、

安倍内閣は火ダルマになりそうだ。

閣僚や党三役、幹部が献金漬けなのである。
                 略
甘利は04年の全政連の定時総会に来賓として出席。
業界団体広報誌では「上限金利を引き下げると、
信用度の高い人にしか融資できなくなる。
はじかれた客はヤミ金に行く」などと業界寄りの発言を繰り返してきた。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2572299/detail

小額無担保融資 グラミン銀行が、ノーベル平和賞  2006年10月14日

今年度のノーベル平和賞はバングラデッシュのグラミン銀行と
創設者・総裁ムハマド・ユヌス氏が受賞した。

グラミン銀行は貧困層相手の小額無担保融資専門銀行である。世界でも最貧国で
あるバングラディシュの庶民金融が受賞した意義は大きい。

グラミン銀行は設立以来9割以上の返済率を維持。
現在は借り手320万人、融資総額42億ドル、返済率98%に達した。
住環境や衣料などから独自に策定した貧困ラインで判断すると
「借り手の46%は貧困層から脱却した」という。(日経アジア賞資料)

富裕国である日本では消費者金融が高利をはんでいるのと対照的である。
(嶋田/東京)
http://www.buyers-agent.or.jp/blog/10141768/


これでは
旧大蔵・財務幹部ら23人、消費者金融5社に天下り
朝日新聞  2006年10月15日14時20分
 大手消費者金融5社に、業界を監督していた旧大蔵省と財務省の官僚OB23人が役員や顧問として天下り、うち4社に5人が現在も在籍していることがわかった。旧大蔵省銀行局長や印刷局長など本省の幹部経験者のほか、業界を監督する全国の財務局の元幹部も含まれている。大手消費者金融の関係者は「監督官庁の天下りを受け入れることでパイプをつなぎ、銀行から安定的に融資を引き出せた」と話している。

永井路子の講演会から

先日、永井路子さんの講演会に行って来ました。
永井さんのお話はラジオやテレビで何度も聞いているので、
その語り口は知っていましたが実際に聞いて見ると、
話は大変にうまく、内容もしっかりしています。
時々、冗談を話されるのでラジオやテレビとは違う親しみが感じられ、
永井さんの歴史文学とは違う面白さでありました。

演題「女帝の流れをうけついで」
10月10日(火) 新宿住友ビル7階 朝日カルチャーセンター

奈良時代、道鏡を愛した孝謙(称徳)女帝の死を最後に女帝は永い間消えてしまう。
江戸時代、二人の女帝が出現するが、彼女たちは歴史の主役にはなれなかった。
では女帝が消えてから、日本の女性は政治の場から遠ざけられたのか、
全く無力だったのかと言うと決してそうではない。
母系、双系社会から、平安時代に父系制社会が確立すると、
歴史の表舞台から、女性が姿を消したように考えるが、それは間違いである。
第一に天皇の母としての「国母(こくも)」が歴史に重要な役割を果たした
第二に幼い天皇の養育から成人後の政治・政略に預かる「乳母(めのと)」として、
歴史の表舞台に影響を与え、女の歴史はしっかりと続いていた。
①「国母」の例として、第64代円融天皇に嫁いだ
藤原兼家の娘 詮子(せんし)女御を取り上げた。
皇太后詮子は長兄の関白藤原道隆が死んだ時、
順当なら、道隆の息子伊周(これちか)が関白になるのに、
当代一条天皇の母として、息子に助言、次兄の藤原道長を推薦した。
道長が関白の位に就き、伊周は左遷された。
②第66代一条天皇のお后には藤原道隆の娘、定子と藤原道長の娘、彰子がいた。
皇后定子には清少納言、中宮彰子には紫式部・和泉式部が教育係として仕え、
平安文学が花開いた。
③紫式部は大変な教育ママで、夫藤原宣孝との間にもうけた一人娘を
最初、中宮彰子に仕えさせた。彰子の妹嬉子が親王を生むと乳母を務め、
高階成章と結婚した。25年後、親王が後冷泉天皇に即位すると、
夫高階成章は太宰大弐という大宰府の次官に就任した。
太宰大弐という役職はお金の儲かる職位で、大金持ちになって都に帰ってきた。
以上




『花の会』平成18年度第三期スケジュールのお知らせ

『花の会』平成18年度第三期スケジュールのお知らせ

『花の会』は古典芸能大好きの主婦たちが20年前
狂言師 善竹十郎さんに世阿弥の『花伝書』の講義を
お願いして始まりました。
『日本の古典芸術をより身近なものとして理解し、
人生の糧とすべく共に学び楽しむ』をモットーに
20年間続いている古典芸能鑑賞公開講座です。

① 8月24日(木)午後2時~4時  
       演題:「元禄忠臣蔵」
       講師:明治大学教授 神山 彰氏
       会場:世田谷区粕谷区民センター・二階会議室

世田谷区粕谷区民センターの案内
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/cgi-bin/sisetu/sisetu.cgi?mode=view&category1=040&category2=020&category3=&no=56

② 9月7日(木)午後2時~4時
       演題:「座元の家々Ⅳ」
       講師:国立劇場文芸室長 石橋健一郎氏
       会場:世田谷区烏山区民センター・三階第四会議室

烏山区民センターの案内
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/cgi-bin/sisetu/sisetu.cgi?mode=view&category1=040&category2=020&category3=&no=57

③ 9月21日(木)午後2時~4時
       演題:「前進座の元禄忠臣蔵」
       講師:邦楽演奏家  杵屋佐之忠氏
       会場:世田谷文学館・二階講義室

世田谷文学館の案内
http://www.setabun.or.jp/

④ 10月12日(木)午後2時~4時
       演題:「琵琶の源流を訪ねて」
       講師:薩摩琵琶演奏家 藤内鶴了氏
       会場:会場未定

⑤ 11月16日(木)午後2時~4時
       演題:「未定」
       講師:作家 松井今朝子氏
       会場:会場未定

⑥ 11月30日(木)午後2時~4時
       演題:「今年後半の歌舞伎・文楽」
       講師:演劇評論家 藤田 洋氏
       会場:会場未定

⑦ 12月7日(木)午後2時~4時
       演題:「装束づけデモンストレーション」
       講師:日本能楽会理事 シテ方金春流 高橋 汎氏
       会場:会場未定

第三期分会費 4.500円 (単独受講は1回900円)
連絡先: nmwtg303@ybb.ne.jp 長谷川まで

10月26日(木) 歌舞伎鑑賞会  会場 国立大劇場
          真山青果作 「元禄忠臣蔵」 主演 中村吉右衛門
   終演後 「歌舞伎役者 中村梅玉丈を囲む会」があります。
   会費  8.500円(予定)
  


宗左近 死去

詩人の宗左近さんが亡くなりました。
宗左近といえば詩集「炎(も)える母」を読んだ時の印象が強烈でした。
その他にも、作曲家の三善晃さんと協力して、
新しい形の校歌を作った事でも有名です。
愛とか、夢とかの言葉を散りばめた象徴的な詩を書かれました。
その詩の奥には常に戦争で亡くなられた人々への
鎮魂の思いが込められているように思います。

詩集「透明の芯の芯」2000年から

  青い空
花は不透明 でも 私が見つめているとき 花は透明
  宇宙が見える
私は不透明 でも 花から見つめられているとき 私は透明
  夢が見える
透明とは 運動 おそらくは祈りの
  そして
不透明とは 終点 きっと宇宙を作った光の
  そのために
花から見つめられているとき 私の奥 痛んでいる
  だから ごらん
花を折れば 私が折れる 青い空を噴(ふ)いて

宗左近 本名・古賀照一さんが6月19日亡くなった。
87歳だった。1919(大正8)年、福岡県生まれ。
仏文学者で、多く翻訳書・美術評論書を出した。
大学で教鞭を執りながら多数の詩集を発表。
 1945(昭和20)年5月の東京大空襲で
母と逃げまどい、母が火の中に残り、
自分だけ火の中から転がり出るという体験を描いた
詩集『炎(も)える母』で68年に歴程賞を受賞した。
 宗左近の名は戦争中に死線をさまよった時の
「そうさ、こん畜生!」の言葉から取ったと言う。

 宗左近さんは2005年5月16日の東京新夕刊に
「私の憲法論」を書かれました。
難しいのですが私なり要約してみました。

地球上で日本人だけが桜の花に狂乱するのはなぜだろうか?
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と
梶井基次郎はエッセイ『桜の樹の下には』で書いた。
桜の樹は先祖の屍体を吸って、桜の花を咲かせるのである。
先祖の魂が、私たち子孫の魂を鎮魂させる為に咲かせるのだ。
戦争で死んだ若者の屍体の生命の液体を吸った桜は
非戦の誓いである「憲法9条」を咲かせた。
桜が咲くと死んだ母が蘇って、私たちの苦しみと悩みを解き放ってくれる。
だからこそ、みんなが桜に狂い、踊る。歌う。酔っぱらうのである。
だからこそ、私は叫ぶ。「咲けよ初夏にも日本の桜」と

下記に宗左近さんの「私の憲法論」の全文を載せます。

宗左近「私の憲法論」東京新聞2005年5月16日夕刊より
『宗左近詩集成』 日本詩歌句協会(北溟社) 2005年
777ページ

 宗 左近 《詩集成》 覚書から、

『 まず、次の文章をお読みいただきたい。
 すぐには納得いかないねえ、といわれるお話を申し上げる。

お許しいただきたい。

 先刻ご存じの通り、ほとんどの日本人は、桜に狂う。踊る。歌う.酔っぱらう。
でも、これは地球上で日本人だけ。いつたい、これはどういうことなのだろうか。

 十五年戦争の始まる頃に書かれた梶井基次郎のエッセー『桜の樹の下には』を、
十五年戦争が終ってのちに読んだ.驚嘆した。抜き書きする。
 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
  これは信じていいことなんだよ」
 「屍体はみな腐乱して蛆が湧き、堪らなく臭い。」
 「桜の根は、貪婪(どんらん)な蛸(たこ)のように、それを抱きかかえ、いそぎ
んちゃくの食糸のような毛根を聚(あつ)めて、その液体を吸っている。」
 「何があんな花弁を作り、何があんな蕊(しべ)を作っているのか、俺は毛根の吸
いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがっ
てゆくのが見えるようだ。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

 わたしは「きけ わだつみ」の世代の生き残りである。この屍体は、そのまま、わ
たしたちの友人たちのものだと思った。やがて、新憲法が発布された。非戦の誓いの
憲法第9条は、友人たちの屍体の生命の液体を吸って咲き出た桜の花に他ならない。
だからこそ、じつに悲しく、この上なく美しい。

 しかし、、わたしのなかには、なお、問題が残った。なぜ、世界中で日本人だけが
桜の花に狂乱するのか、そこには、きっと深い謎がある。でも、判らない。

 ところが、啓示を受ける事件が起こった。
 昨年、沖縄忌第二回俳句大会の選者の一人となった。そして、次の玉井克輔の作品
に強い衝撃を受けた。

   日本忌のなきは沖縄忌のあればこそ

 わたしのなかを、不意に感動が走った.次の二句が生まれた。

   憲法第九条あるは沖縄忌あればこそ
   日本忌の無きは桜狂いあればこそ

 第一句の発想は当然であって、付け加えることはない。第二句には、付言が必要で
あろう.桜狂いは、日本の被支配層すべての共有する民間宗教なのだと、わたしは思
いついたのである。でなければ、あれほどの浸透の深さと広さはありえないのではな
かろうかと。

 ただし、この民間宗教には、じつに強い特色がある。それは、先祖の(つまり死者
の)魂(すなわち、桜の花)は、子孫のわたしたちの魂から鎮魂されるのではないと
いうこと。先祖の魂が、子孫のわたしたちの魂を鎮魂するのである。だからこそ、わ
たしたちの生者は嬉しくなって踊り狂うのである。

 そして、この土俗宗教の書かれなかった教義を文字にしたものこそ、「国権の発動
たる戦争と(中略)武力の行使は(中略)永久にこれを放棄する」という憲法第9条
なのではないだろうか。

 それなら、いわばこの桜教の神は、何なのだろうか。
 岩波文庫『きけ わだつみのこえ』の最後尾には、敗戦後シンガポールの刑務所
で、連合国の軍事裁判の誤審によって刑死した木村久夫の処刑前夜の短歌が載っている。

  おののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかむ

 じつに日本人庶民特有の、いわば桜教の神さまは《母》なのではなかろうか。死ん
だ母が蘇って咲き出て、生者のわたしたちの苦しみと悩みを、解き放ってくれるので
ある。だからこそ、みんなが、踊る。歌う。酔っぱらう。すなわち、憲法第九条を生
んだ産みの母は、外ならず、桜なのである。
 だからこそ、わたしは叫ぶ。「咲けよ初夏にも日本の桜」と。』

『宗左近詩集成』 日本詩歌句協会(北溟社) 2005年
777ページ


加藤周一さんに聞く "Why post war now?"(英文)

Mr. Shuichi Kato was asked "Why post war now?"


http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateconfirm0.do

(日本語版)

I don't know how people from abroad think aboutJapan. Anyway,
the other day I went to a public talk by Shuichi Kato located
in a big room, like a classroom filled with about 150 people. The 87 years
old Mr. Kato who was bent with his age more than before, but without having
help, he walked up to the podium on his own. He was fit, he had keen
eyesight, he was fluent, and he was speaking about the importance of Article
9 of the Constitution for two hours. I considered this to be an important
opinion therefore; I have reported it to you. Mr. Kato made introductory
remarks about today's theme "Why post war now?" meaning prewar regarding to
the future when it is expressed today. In Japan, questionnaires about
Article 9 of the Constitution were sent out up to a little while ago; "Yes"
and "No" were half and half, however, recently "Yes" seems to become a
majority. Especially almost all people above 50 years of age, men and women,
both, accepted the present article. I was astonished that brilliant women in
the 30's and in their early 40's said, "We'd better reform our constitution
and make things clear", or "Considering the world's reality, such an idea is
too naive". I wrote this summary wishing that as many people as possible
reconsider our constitution, therefore, I am very pleased that lots of
people would read this.

Discourse at Asahi Culture Centre on October 11, 2005
Listener: Mr. Ryuichi Narita

The Chapter One: About general election of this time

(1) Single-seat districting system is an advantage for the majority party.
Other nations introduced single-seat system aiming political stability, but
in Japan, when the Hosokawa coalition government was born, the system was
introduced. LDP agreed with it due to the decreasing poll to LDP and in
order to attempt to save its own neck.

(2) Japan is facing piled up important issues such as budget deficit and
diplomatic deadlocks. The election became theater typed and fought with the
slogan of postal privatization that was less important compared with the
problems of urgent matters.

(3) Single-seat system is the "first past the post system". The socially
vulnerable ratio of present Japan is possibly below 20% considering 5% of
unemployment ratio, I wonder. Single-seat system is to discard a part of the
people and enables to get in. Candidates dealt with 80% by discarding and by
20% of vulnerable. 80% of the people thought; they lead a good life
comparing with past, they didn't believe Koizumi reforms and did not wish
them, they thought they did not want to change the actual condition,
therefore they did not choose the change of administration.

(4) Results of the election, ruling parties occupied more than two third of
the seats at the parliament. Now Diet composition is enabled to enact any
bill. Campaign issue was only the postal privatization, though the ruling
party set up a target of constitution reforms that was never mentioned on
their election manifesto. The most important theme of constitution reform is
the article 9.

The Chapter Two: About Article 9 of the constitution

Constitution of Japan, Article 9 (full text)

1. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
2. In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and
air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The
right of belligerence of the state will not be recognized.
(Source:
http://en.wikipedia.org/wiki/Article_9_of_the_Constitution_of_Japan )

(1) Against voices calling it an imposed constitution, but Japan had reasons
to accept. i) After a 15 years lasting war, other nations wanted Japan to
be disabled to commit war any more. ii) Almost all Japanese people agreed
because they thought that they don't have to cooperate to the war any more.

(2) I (Kato) don't deny any war. We have to fight when we are attempted to
occupied or invaded from other nation. In this case, we have to change our
constitution, and to have a powerful military force. In the present
circumstances of Asian countries, there is no risk that Japan will soon be
attacked. For instance, Chinese economy is rapidly developing, and the
financial gap between people has widened. For their social stability, living
standards of the people have to be improved. At present, their population is
more than one billions; China has no spare power and time. In case if China
invades to other nations, at first, it must be either Vietnam or Russia.
There is no fear about military threat; therefore, there is no need to
reform Article 9 of our constitution.

The Chapter Three: Risk in case of reforming Article 9 of the constitution

(1) Military budget will increase, and we will have powerful weapons. If we
posses such things, we surely feel a temptation to use them. Measurement
against public and parliament sentiment for the large military budget, the
opportunity to use weapons will be created. As an example, we can quote the
Manhattan Project of the atomic bomb. In July 1945 the atomic bomb was
accomplished, Germany was defeated, and Odds are good that Japan will lose.
America had no need to drop atom bombs to Japan at that moment. Why was
Japan atom-bombed by America? i) They wanted to try a-bomb. They wanted to
test the power of an a-bomb. ii) They spent large budget, therefore, they
had to find a reason somewhere in order to avoid pressure from the
parliament.

(2) According to the alliance between Japan and the United States, Japan
will be obliged to join the war that America will do. For instance, when
China will attack Taiwan, America may be attacking China because of the
military alliance between US and Taiwan. On such an occasion, if Japan has
not reformed the Article 9 yet, Japan can advocate the "Chinese attack to
Taiwan is a Chinese domestic matter, and Japan cannot allow us military
interventions to domestic matter of other nations."

(3) Asian nations will be wary of Japanese invasion again. That is an
obstacle of friendship cooperation and peaceful coexistence with Asian
nations.

The Chapter Four: There is no advantage to reform Article 9 of the Japanese
constitution.

(End)

Lecturer Shuichi Kato: He was born in Tokyo in 1919. Critic. Graduated
Faculty of Medicine, Tokyo Imperial University. Doctor of Medicine. After
going on Medical study, he joined Matinee poetique. From 1951 till 1955, he
went to France as scholar, while studying Medicine; he researched mainly in
France and in European culture. He held successively professor of Berlin
Free University, lecturer of Yale University, professor of Sophia
University. He was awarded Osaragi Jiro prize with his work "Isagoge to
Japanese history of literature". His wide activities to the society and
culture had a significant influence on the postwar society.

Founder of Article 9 Association http://www.9-jo.jp/ (J/C/K/E/F)
Recent work [Article 9 and Japan・China・Korea]
http://www.kamogawa.co.jp/moku/tyosya/ka/kato_syuiti.html

Listener: Mr. Ryuichi Narita: He was born in Osaka in 1951. Professor of
faculty of Human Sociology, Japan Women's University. Majored modern
Japanese history.

[ Editor's comment ]

We are facing an opportunity to think again about Article 9 of non-militant
that is starting to debate over constitutional amendment. A little while ago
Japanese majority supported the Article 9, but this opinion has suddenly
changed according to the attitude of neighboring countries against Japan.
Mr. Kato expressed in his speech, "According to the present circumstances of
Asian countries, there is no danger that Japan will soon be attacked". I
think that is rather naive, however, this idea represents Japanese who have
nurtured postwar indeed. Taking this opportunity, it would surely contribute
to our future selection. That is confirming the circumstances of established
time that Mr. Kato informed as a living witness of the history. The Dankai
generation has rushed through from poor postwar era to wealthy era of Japan,
thus, his concern, I felt empathy with it and read this summary. I am going
to inform you with next issue about the last national vote in this year.

Issuer/発行元: Thomas Huerlimann & Editors' Group
swiss_news_headlines@bluewin.ch
Copyright (C) 1998-2006 Thomas Huerlimann / Weekly Swiss News Headlines
(WSNH)

小泉総理「貸す方も悪いが借りる方も悪い」

小泉総理の「高利でも金を借りなければならない人がいる」という発言は

池田元総理の「貧乏人は麦を食え」以上の歴史に残る発言だと思います。

上限金利下げに慎重 小泉総理「貸す方も悪いが借りる方も悪い」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000210-kyodo-pol

19日付け 毎日新聞 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060519k0000m010088000c.html  

小泉純一郎首相は18日の参院行政改革特別委員会で、

出資法の上限金利(29.2%)を利息制限法の上限(15~20%)まで

引き下げようとの議論について「金利が高くても借りたいという人がいる。

借りる側から見れば、(金利は)低い方がいいに決まっているが、

高利でも金を借りなければならない人がいるということも考えないといけない」と、

借り手の需要も考慮すべきだとの見解を示した。民主党の前川清成氏の質問に答えた。  


金融庁の「貸金業制度等に関する懇談会」(座長・吉野直行慶大教授)は

「上限金利を利息制限法の上限水準に向け引き下げるのが望ましい」とする

中間提言をまとめたが、

小泉首相は「貸手と借り手、両方の意見をよく聞いて議論してもらいたい」と指摘。

上限金利引き下げに慎重な姿勢を見せた。【斉藤信宏】


この総理の下で、今日、共謀罪法案が採決されようとしています。

http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY200605180381.html

共謀罪については東京新聞の17日付「核心」と

http://www.tokyo-np.co.jp/kakushin/ 18日付の「こちら特報部」が、

http://www.tokyo-np.co.jp/tokuho/ 共謀罪の本質を掴んだ判り易い解説です。

読んで見てください。

東京新聞18日付の「こちら特報部」の記事から

「刑減免より犯罪組織が怖い/共謀罪 刑事が反対する理由」

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060518/mng_____tokuho__000.shtml

「取り締まる側の刑事が共謀罪に反対している」という、

▼ある刑事「(やくざが共謀を自首して、つまりチクって)刑が減免されたところで、

組織の回し者に殺されたら何になる? 警察が一生、守ってくれるわけでもないのに。

ヤクザとテロリストはな、警察より組織が怖いのよ。

坊やの意見は、おりこうさんのキャリア官僚と同じ机上の空論ってやつよ」

三木アヤ 短歌の世界

今日の桜の歌は別れの歌です。

『三木アヤ短歌の世界』を読みました。
三木さんの短歌集は下記のHPに載っています。
http://members.jcom.home.ne.jp/miki3/

三木アヤさんは大正8年 香川県生まれ、
短歌を北原白秋・宮柊二に師事。
昭和28年、宮柊二の『コスモス』創刊に参加。
又、教育者として、河合隼雄元京大教授に師事、
河合隼雄が日本に紹介したユング派の心理療法
「箱庭療法」を研究、実践、普及に努めました。

昭和60年、66歳の時 桜が散る病院で
お母様を看取られました。
その時に詠まれた歌を3首、紹介します。

 人代り病室変る花明り 
       仄めく窓に母はまぼろし

 雨もよひ昏るる夕べの花沈め 
       万朶の桜木(さくら)を巡らむ死者と

 水の面に散る花びらの鮮しさ 
       季(とき)還りきて桜は咲くを

『第三歌集』1986-(2)「母の呼気」から